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"菜翁が旨"さんのほほ~ぇむ健康ペ~ジ

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和鉄がかもしだすセイコ‐Credorにも採用された古代ロマンの音色:明珍宗理作品

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たたら炉が生んだ和鉄がかもしだす三千五百万円の古代ロマンのねいろ(音色)

 このほど、セイコーウオッチ社から創業130周年を機に、高級ウオッチブランド<クレドール>から<クレドール>ノード スプリングドライブ ミニッツリピーターが発売された。
希望小売価格は、3,465万円で年間生産予定は3本だそうである。

この時計の「ミニッツリピーター機構(鐘を打って時刻を知らせる機構で、製造の難易度の高さから機械時計の3大複雑機構のひとつとされ、極めて高度な設計、組立技能が求められる。)」について、≪商品の特徴≫には次のように述べられている。


匠の技と先端技術の融合から生み出された、静寂の中に美しい音色が際立つミニッツリピーター機構
・ 8時位置にあるボタンを押すと、二種類のハンマーが二種類のゴング(鐘)を打ち、音色とリズムの組み合わせで現在の時刻を知らせます。報時の単位は、時間を認識しやすいデシマル式報時方式を採用しています。
・ 涼やかで澄んだ音色のため、ゴングには、鍛冶師で明珍家第52代目当主、明珍宗理(みょうちんむねみち)氏(代々、姫路藩主酒井家のお抱え甲冑師として多くの甲冑を製作してきた伝統を持つ鍛冶師。明治以降火箸作りに転じ、現在は姫路の代表的な伝統工芸品である明珍火箸を製作している。)が明珍家に代々伝わる技法で鍛造し、当ミニッツリピーターのために特別に作り込んだ鉄材を使用しています。


動画:3.腕の中にある「時」の情景(3分10秒)

ここで述べられている明珍宗理氏が制作した明珍火箸風鈴は菜翁が旨さんも娘婿たちに厄除け祝として贈っている。

菜翁が旨さん自身も、その昔、伯母から戴いている明珍火箸風鈴が、風に吹かれて透き通るような音色が、今も日々耳にしている。

この風鈴に使われている糸などが長年の使用で痛んだ時には、「明珍本舗」で交換してもらっている。

もともと、この近くの千種川上流から揖保川上流の山地では播磨国風土記(出雲・常陸・豊後・肥前とともに現存する日本最古の風土記の一つ。)にもあるように、古くから良質の砂鉄を産出しており、更に製鉄に必要な良質の炭材にも恵まれていたので、進んだ産鉄技術を持つ大陸の技師たちが多くかかわって、たたら炉で溶かす和鉄づくりが盛んであった。

灼熱のたたら炉での製鉄作業には、大量の塩分の補給が必要である事から、千種川河口の赤穂での製塩が盛んになった事も無縁ではあるまいと考えられる。

(播磨国風土記には赤穂の郡(こおり)をはじめ冒頭部分が失われているそうである。国宝として現存している平安末期の写本の書き写し漏れではないか、という説もあるそうだ。)
千草鉄は鎌倉時代には名刀「備前長船」の素材でもあったことで知られている。

和鉄づくりはたたら炉で砂鉄を溶かすために大量の木炭を必要としたので、炭にする木を切りつくすと、次の山に移っていく。

また、たたら炉で出来上がった玉鋼(たまはがね)は、山越えで水量が豊富で川幅の広い揖保川沿いの船着場まで運ばれて、そこからいかだ舟に乗せて河口の瀬戸内海まで運ばれていたのであろう。

そして、この船着場で玉鋼(たまはがね)と塩や食料や衣類や酒などと交換して、たたら炉場に持ち帰ったであろうことが想像される。

(この山越えの山路と瀬戸の海路は、出雲と大和を結ぶ山路と海路にもなっていたことは播磨国風土記にも記述されており、大国主命(おおくにぬしのみこと)ゆかりの神である伊和大神(いわのおおかみ)と揖保川河口から攻め上ってきた大陸の新羅(しらぎ)の皇子神天日槍(みこがみあめのひぼこ)との腕比べ(戦い)の名残を残すと思われる地名がたくさん残っている。

(ちなみに、菜翁が旨さんは、小学生低学年の時に、学芸会でこの大きな袋を背負った大国主命(おおくにぬしのみこと)になって、皮を剥がれた因幡(いなば)のしろうさぎに優しい声をかけたことを、不思議なことに、今でも鮮明に覚えている)

この、伊和大神(いわのおおかみ)と天日槍(あめのひぼこ)はそれぞれ、伊和神社と出石ソバで知られている出石町の出石神社に祀られている。

この、玉鋼(たまはがね)を運んだ山を横断する山越え路は、最近では殆ど利用されることがなくなって、けものみちと見間違えそうではあるが、存在しているそうである。
音水(音水湖=引原ダムで知られている地域)では明治32年まで鉄山作業が続いていたといわれているから、千草鉄は非常に長命であったようである。


このように、最近まで、日本の名刀「備前長船」を生んだ良質のたたら製法の“玉鋼(たまはがね)”が造られていたことも、明珍火箸風鈴の澄んだ華麗な音色とは無縁ではないのではないか、と思われる。

たたら製鉄は千五百年の歴史を持つ、日本の伝統的な製鉄法である。
粘度で造った炉に蹉跌と木炭を入れて、木と動物の皮で作った鞴(ふいご)で風を送り込んで玉鋼という鉄の塊を造る。
江戸時代にたたら製鉄の盛んだった中国地方で風を炉に送り込む画期的な天秤鞴という装置が登場した。
天秤鞴は、踏み台が二つあり左右交互に踏みながらどちらからも炉に風を送り込むことが出来る装置で、それを炉の両方に配置して、強い風を送り込むことが出来るようになり、で鉄の質と生産効率が大幅に向上した。
このたたら製鉄は日本刀の材料となる玉鋼を作る目的で今も古来の製法が継承されている。



話は変わるが・・・


男性の42歳、女性の33歳の厄年の前年には、身内の者が身に着ける長いものを贈って厄払いをする風習がある。

私自身も、40歳から始まる成人病検診(現在の生活習慣病予防健診)を受診して、早期発見・早期治療のおかげで現在の健康を得ているので、この「厄年」はあながち単なる風習だといって、見過ごせないものだと思っている。

厄年の年を「本厄」そして前年を「前厄」、翌年を「後厄」と呼ばれている。

前厄の年の暮れに「厄除けお祝い」として祝い込み、本厄の年の厄払いに備えるわけである。

原点は恵比寿様 ・大黒様の化身が 『蛇神』 であるという事からきており、長いものを 『蛇神』 に見立て、外から来る厄を払い除けようというのだそうである。

マフラー、ネックレス、ベルトなどが、近頃は一般的なお祝い品のようであるが、やはり身近で末永く使えるものが嬉しい。

私の場合は、私自身の厄除け祝いに、伯母から「明珍火箸」を贈ってもらったので、婿には「明珍風鈴火箸」を贈る事にしている。

関西では、「明珍さんの火箸」として、知る人には昔から親しまれているものである。

火箸は昔の生活では、日常で身近で年中使うものであり、家族こぞって日々忘れずに厄除けを祈ることができる、という意味が込められているようにも思える。

明珍家 第52代当主明珍宗理が、刀剣に使われている「玉鋼」で火箸では初めての「明珍火箸」を制作し、その音色が『源氏物語幻想交響絵巻』(冨田 勲指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏)で採用されている。

また、「明珍火箸」の音色は2002年6月のFIFAワールドカップ決勝戦前夜祭での演奏、2005年の愛知万博、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」などはばひろい分野で活躍している。

「明珍火箸風鈴」は、この火箸で作られた風鈴である。


H221225明珍火箸風鈴.JPG
(この風鈴に使われている糸などが長年の使用で痛んだ場合には、「明珍本舗」で交換してもらえる)

この「明珍火箸風鈴」で、無事に婿一家の厄年が無事に無病息災ですごせることを願うものである。

H221225厄除けお祝い.JPG


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明珍火箸風鈴、上
価格:17960円(税込、送料別)
明珍火箸風鈴 上 

火箸4本で素晴らしい音色の風鈴。
明珍火箸風鈴は、透き透った素晴らしい、
雅(みやび)な音がします。
平安時代からの甲冑師の家柄の、
第52代明珍宗理さん作で、
日本の誇れる伝統工芸品です
聞いていると心が自然と落ち着いてきます。
鉄を何度も打ちたたいて作る鍛造品です。
素晴らしい音色をどうぞ!


※玄関に魔除けとして購入させていただきました何かと 人がたくさん集まる我が家必ずこの風鈴を すごく良い音ねと聴き入ってくださいますありがとうございました。

※玄関ドアの内側にかけて使っています。ドアから少し離れて掛かるようにする物を別途用意しなければなりませんでしたが、ドアを動かすたびに綺麗な音がして癒されます。
(2018/11/7時点)




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